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石川祐希の高校時代は史上初の6冠!両親や姉・身長の変化も紹介

石川祐希の高校時代は史上初の6冠!両親や姉・身長の変化も紹介

男子バレーボール日本代表で主将を務める石川祐希選手は、高校時代に史上初の偉業を成し遂げました。舞台は愛知県の強豪・星城高校です。

この記事では、高校3年間の実績や恩師の育成方針を中心に、元アスリートの両親、競技を始めるきっかけとなった姉、身長の変化、卒業後の経歴までをまとめています。

目次

史上初の6冠

石川選手は、2012年と2013年にインターハイ・国体・春高バレーのすべてで優勝し、星城高校を史上初の2年連続3冠に導きました。高校の主要3大会を2年続けて制したため、「高校6冠」とも呼ばれています。

ここでいう3大会は、夏のインターハイ(全国高校総体)、秋の国体(国民体育大会)、冬の春高バレー(全日本高校選手権)のことです。

6冠星城高校で史上初の2年連続3冠
2年時(2012年度)

インターハイ

優勝

国体

優勝

春高バレー

優勝

3年時(2013年度)

インターハイ

優勝

国体

優勝

春高バレー

優勝(2014年1月)

公式戦は99連勝。3年時は主将としてチームをまとめた。

※デイリースポーツ、Number Webなどの報道をもとに作成

1年生から試合に出場

星城高校の竹内裕幸監督は、夏ごろまで新入生を起用しない方針だったといわれています。しかし石川選手には、入学直後からレギュラー争いの機会が与えられました。

評価されたのは、180cmを超える長身でありながら積極的にレシーブに飛び込む姿勢。身長に悩んでいた中学時代に磨いた技術が、ここで生きた形です。

けがをきっかけに出場を制限

高校1年の夏、石川選手はスパイク練習中に右の腹筋を痛めました。これを受けて竹内監督は、体力やけがのリスクを考え、1大会での出場を3日間に限るという起用法を選びます。

背景には「筋力は大学からでも伸ばせるが、指先の感覚や柔軟性は高校時代にしか伸びない」という考えがありました。石川選手はアタッカーだけでなく、トスを上げる司令塔のセッターも経験しながら技術を磨いたとされています。

奇跡の世代と呼ばれたチームメイト

当時の星城高校は逸材がそろい、「奇跡の世代」と呼ばれました。エースの出場が制限されたことで、ほかの選手が奮起するきっかけにもなったと報じられています。

名前主な経歴(2023年の報道時点)
中根聡太小中高9年間同じチームのセッター、現・星城高校監督
山崎貴矢元堺ブレイザーズ
川口太一元ウルフドッグス名古屋
武智洸史JTサンダーズ

多くのメンバーがその後、国内トップリーグのVリーグへ進みました。チーム全体のレベルの高さがうかがえるでしょう。

主将として公式戦99連勝

3年時には主将も任され、チームは公式戦99連勝という記録を残しました。石川選手は言葉で引っ張るよりも、練習への真面目な姿勢と得点力で周囲を導くタイプだったといわれています。

一方、コートを離れると別人のようだったとも。教室では一人で静かに過ごすことが多く、会話も最小限だったそうです。恩師の竹内監督は、高校時代の石川選手のポテンシャルを次のように表現しました。

“体に積んでいたのはF1じゃなくて、スペースシャトルのエンジンでした”

(デイリースポーツより引用)

石川祐希の身長の変化

現在の石川選手の身長は192cm。ただし、子どもの頃から大柄だったわけではありません。小学6年生のときは157cmで、体格面で苦労した時期もあったといいます。

中学3年生で180cm前後まで伸び、高校入学時にはすでに180cmを超えていました。背が低かった時期にレシーブなどの基礎技術を身につけたことが、今のオールラウンドなプレーにつながっているとみられています。

石川祐希選手の身長の移り変わり

小学6年157cm
中学3年約180cm
現在192cm

※小学6年はオリンピック公式サイト、中学3年はNumber Web、現在は月刊バレーボールの記載による

石川祐希の両親は元実業団アスリート

石川選手の両親は、どちらもスポーツ経験者です。父は陸上短距離、母はバスケットボールの元選手で、ともに実業団(企業チーム)でプレーしていたと紹介されています。

父の名前は幹尚さん、母はみどりさんと報じられています。所属先は自動車部品メーカーのデンソーだったとされていますが、公式な発表ではありません。父の身長は184cmと伝えられており、長身は父譲りといえそうです。

石川祐希の姉はバレーを始めたきっかけ

石川選手には1歳年上の姉・尚美さんがいます。バレーボールを始めた理由について、本人は子ども向け冊子のインタビューでこう答えました。

“1歳上の姉の影響です”

(子ども応援便りより引用)

小学3年生のとき、姉が所属する地元クラブの試合を見学していたところ、コーチに声をかけられて出場したそうです。いきなりアタックが決まり、始めたばかりの少年野球からバレーへ転向しました。本格的な競技開始は、小学4年生からとされています。

妹の石川真佑も日本代表主将

5歳年下の妹・石川真佑選手も、女子日本代表で主将を務めるトップ選手です。兄妹そろって日本代表の主将という点でも注目を集めてきました。

2026年は兄妹にとって大きな転機の年に。2026/27シーズンから、兄はトルコのジラート、妹は同じくトルコのエジザージュバシュでプレーすることが決まり、そろって新天地に挑みます。

バレー石川祐希の高校卒業後の経歴

高校卒業後は中央大学へ進学し、1年生だった2014年に日本代表デビューを果たしました。在学中からイタリアのクラブでもプレーし、卒業後にプロへ転向しています。

年主な出来事
2014年中央大学に進学、日本代表デビュー、イタリアのモデナに短期留学
2018年プロ転向、イタリアのシエナに加入
2019年パドヴァに移籍
2020年ミラノに移籍
2021年主将として東京五輪に出場しベスト8
2024年ペルージャに移籍、パリ五輪でベスト8
2026年トルコのジラートと契約

ペルージャ在籍2季目の2025/26シーズンは、負傷の影響で出場機会が限られました。それでもチームはリーグ優勝や欧州チャンピオンズリーグ制覇などシーズン4冠を達成しています。同じ男子バレー日本代表では、高橋藍選手の家族や兄弟のエピソードをまとめた記事も参考になるでしょう。

まとめ

石川祐希選手は星城高校時代、主将として公式戦99連勝と史上初の2年連続3冠を達成しました。けがを機に出場を制限し、感覚を磨く育成を選んだ恩師の判断が、今の土台になったといわれています。元実業団選手の両親と、競技のきっかけをくれた姉の存在も欠かせません。トルコで迎える新シーズンの活躍にも注目したいところです。

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